喜ばれる仕事を精一杯に

建築士の資格も取得し、今日も喜ばれる仕事を精一杯に

能弘は30歳のときに博子と結婚し、一男二女に恵まれるが、その丁寧な仕事ぶりは好評で、家業はますます忙しく、休みは正月だけという状態。

職人も雇い、戸建住宅の塗装を中心に、教会やゴルフクラブのクラブハウス、中央市場なども手掛けていた。
その働きぶりは高く評価され、
昭和44年(1969年)に薫が神戸市功労賞を受賞
昭和50年(1975年)には能弘が神戸市優秀技能功労賞を平成6年に神戸市功労賞を受賞した。

能弘の長男・泰(1973年生まれ)もまた、小学校の頃から家業を手伝うようになっていた。
現場で塗装がしやすいようにと直線に沿ってテープを張るという簡単なものだったが、父や祖父が働く姿を幼い頃から見つめてきた。
その体験は、やがて家業を継ぐときに活かされることとなる。

県立夢野台高校から山口大学工学部に進学した泰は、親元を離れ下宿生活を始めた。
工学部では実験が忙しく、学校に泊り込むことも多かったという。
そして、平成7年(1995年)1月17日、大学3年の冬に、阪神淡路大震災が実家のある神戸を襲う。
幸い家族も自宅も無事で、能弘は周辺の家屋の屋根をブルーシートでカバーして回るという作業に追われた。
翌年、大学を卒業した泰は、神戸に戻り、塗料メーカーの系列の会社に就職する。
そこで1年半、働きながら塗料と業界についての知識を学び、
平成9年(1997年)秋退職し、満を持して梶川塗装に入る。

泰は、当初、家業を拡大させることを考えていた。
それには仕事をより効率よく進めるために段取りを整え、新たな気持ちで取り組むことが肝心だ。
泰は、事業拡大を目的に、建設組合で2級建築士の資格取得のための勉強を始める。早朝から夕刻まで働き、夜間に一人、机に向かう日々が続いた。
努力を重ね建築士の資格を取得すると、建物の構造が分かるようになり、これまで見えなかった部分が見えてくるようになった。

「なぜ、コーティングが必要なのか」「雨漏りの原因は何か」など施工主からの質問にも、建築の基本を抑えたうえで説明すると理解されやすかった。提案の幅も広がり、これまでは工務店の下請けの仕事が中心だったのに比べ、施工主から直接声が掛かることも増えた。建築の知識を身につけたことで、図らずも顧客の信頼と自信を泰は手に入れた。
そして、その頃から泰の考えは少しずつ変化していった。
職人をたくさん雇って事業を大きく拡大するのではなく、一人ひとりの顧客の質問や要望に自らが丁寧に応えられるような、キメの細かい仕事をしたい、と考えるようになったのだ。
平成14年(2002年)、泰は看護師だった恭代と結婚。1男をもうけた。

梶川塗装は、平成17年(2005年)4月に
有限会社 梶川塗装として新たなスタートを切る。

経理全般を担当する恭代は、宅地建物取引主任者の資格及び、福祉住環境コーディネーターの資格を取得した。
宅地建物取引業の知識及び、福祉住環境コーディネーターの知識が、顧客の役に立つかもしれないという考えからだった。
塗装のプロフェッショナルとして、顧客と向き合いながら、
一流の仕事をしたい。決して現状に満足することなく…

それが職人6人を中心に率いて現場を仕切る泰のポリシーだ。

その良き相談役を父の能弘と妻が担ってくれる。
人と接し、人と話すことが好きな泰は、懸命に働きながら、地域の自治活動や組合の役員も積極的にこなしている。

そして、住み慣れた大好きな神戸の街で、人の役に立ちたい。そんな思いで今日も仕事に励んでいる。

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